2025年09月04日
2025年6月23日~25日平和行動in沖縄 報告書
ベイキューブシー労働組合
<概 要>
日 程 2025年6月23日(月)~25日(水)
スケジュール
第1日目 6月23日(月)
・平和オキナワ集会(基調講演、平和式典)
第2日目 6月24日(火)
・ピースフィールドワーク「戦跡コースC」
糸数アブチラガマ、ひめゆりの塔、魂魄の塔、平和記念公園
・集会、デモ
第3日目 6月25日(水)
・団体行動(首里城) or 自由行動 ※自由行動を選択
<報 告>
○第1日目 6月23日(月)
平和オキナワ集会
初日は那覇文化芸術劇場「なはーと」で開かれた「平和オキナワ集会」に参加
しました。
基調講演では、「オール沖縄」の屋良朝博衆議院議員(立憲民主党所属)が登
壇し、「新たな安全保障を目指して」と題して現在の安全保障の在り方と今後
について語られました。
冒頭、屋良氏は「安全保障とは何か」という根本的な問いから講演を始めまし
た。報道などを通じて「安保=軍事力」と捉えられがちなこの言葉ですが、実
際にはもっと広い意味を持っているとのこと。屋良氏が紹介した『安全保障学
入門』では、安全保障には普遍的な定義がなく、価値観や時代背景によって変
化するものであるとされていました。また、「security」という言葉自体が
「心配のない状態」を意味するように、軍事力はあくまでその一部に過ぎず、
本来の安全保障とは、社会全体が安心して暮らせる状態をどう作るかという問
いでもあると感じました。
特に印象に残ったのは、かつて琉球王国が「武器を持たない外交と貿易」に
よって平和を維持していたという話でした。武力に依存しない安全保障の実例
が歴史の中にあることは、現代の日本にとっても示唆に富む話だと思いました。
講演では、近年話題となっている「台湾有事」にも触れられました。中国では
2005年に「反国家分裂法」が制定され、台湾が独立を宣言した場合などには武
力行使を容認するとされています。具体的には以下の3つの条件が定められてい
ます。
①台湾が独立する
②台湾が独立するような重大な事案が発生
③平和統一の可能性が完全に喪失
しかし現実には、日米両政府とも台湾の独立を公式には支持していませんし、
台湾の人々も60%以上が現状維持を望んでいるというデータも紹介されました。
独立を望む人は5%未満にとどまっており、「台湾有事」が差し迫ったものか
のように語られる状況には疑問を持たざるを得ません。
一方、日本の軍事費は増大し続けており、すでにGDP比1.8%、金額にして8兆
円を超えています。アメリカのトランプ大統領は、日本に対しGDP比3.5%まで
の軍事費拡大を求めており、それが現実化すれば日本の社会保障や教育、農
業などへの予算はさらに削られることになります。現状でも、教育費は約5兆
円、農林水産関係はわずか2兆円。この予算配分を見て、やはり「お金を使う
ところを間違えている」と強く感じました。
屋良氏は「新たな安全保障」のモデルとして、沖縄に「HA/DR国際センター」
(Humanitarian Assistance and Disaster Relief:人道支援・災害救援)を
設置する提案を紹介しました。東日本大震災(3.11)やアメリカ同時多発テロ
(9.11)以降、災害支援も安全保障の重要な一翼となっています。東南アジア
で行われる多国間軍事演習「コブラ・ゴールド」にも2014年以降中国が人道支
援部隊として参加していることは、安全保障の重心が従来の「戦争」から「人
道・災害支援」へ移行しつつあることを示しています。日本が災害支援のリー
ダーとして地域に貢献することは、軍事力強化よりも平和的で持続可能な安全
保障の形だと強く共感しました。
講演の終盤では、イスラエル・ガザをはじめとした中東情勢の悪化、トランプ
の再登場といった不確実性の増大にどう向き合うべきか、という問いも投げか
られました。
この講演を通じて私は、軍事力を拡大し対立を煽るのではなく、「対話と外交」
を通じて平和を守ることの重要性を、多くの人に伝え続けたいと感じました。
○第2日目 6月24日(火)
ピースフィールドワーク「戦跡コースC」
糸数アブチラガマ、ひめゆりの塔、魂魄の塔、平和記念公園
集会、およびデモ参加
2日目は、戦跡を巡るピースフィールドワークを実施しました。沖縄戦の戦跡
を巡るフィールドワークを通して、「戦争とは何か」「平和とは何か」を身体
で感じながら学びました。教科書や映像ではわからない、生々しい歴史の現場
に触れる一日でした。
・アブチラガマ(糸数壕)
もともとは陣地として使用されていたこの壕は、戦況が悪化する中で野戦病院
として利用されるようになり、ひめゆり学徒隊や軍医、負傷兵たちがここで過
ごしました。
米軍の南部侵攻により撤退命令が出された際、壕内には重症の負傷兵や住民約
50人が置き去りにされたといいます。重傷で助からない負傷兵はガマの奥へ置
いていかれたそうです。光の届かない暗闇の中で、水の音はするのに飲むこと
もできず、希望を失いながら死を待つしかなかった人々の絶望を思うと、胸が
締めつけられました。
壕内の天井には、今も黒いすすの跡が残っています。これは米軍による、馬乗
り攻撃とよばれる黄りん手榴弾や火炎放射器、ガソリンを使った焼き討ち攻撃
の痕跡だそうです。
食糧庫の屋根が爆風で吹き飛ばされ、天井に張り付いたままになっている場所
もあり、80年近く経った今もなお、戦争の凄まじさを語り続けていました。
私は高校時代に訪れた轟壕を思い出しました。現在は落盤のため立ち入りがで
きなくなっているとのこと。今後も多くの戦跡が自然や時間によって失われて
いくかもしれません。
だからこそ、今この瞬間に、自分の足で現地に立ち、目で見て、感じたことを
心に刻んでおくべきだと痛感しました。
・ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館
この施設では、戦前の学生生活から戦時下への移行、そしてひめゆり学徒隊の
壮絶な体験を、多くの展示資料や証言映像を通して学ぶことができます。ひめ
ゆり学徒隊240名のうち、136名が命を落とし、そのうち117名は学徒隊に解散
命令が出された6月18日以降に亡くなったといいます。
展示の中には、「戦場がどのようなものか知らなかった」「日本が勝ってすぐ
に学校へ戻れると思っていた」といった言葉もありました。本来であれば、穏
やかな学生生活を送っていたはずの学生たちが、国家の都合で動員され、命を
奪われた。その事実は、二度と繰り返してはならないと痛感させられました。
・平和記念公園・平和の礎・沖縄県平和祈念資料館
平和記念公園では、まず「平和の礎(いしじ)」を訪れました。
ここには、国籍や軍人・民間人の区別なく、沖縄戦で命を落としたすべての
人々の名前が刻まれています。一つひとつの名前が石に刻まれているその光景
は、「戦死者◯万人」といった抽象的な数ではなく、一人ひとりに確かに存在
していた人生と、その喪失の重みを静かに伝えていました。
続いて訪れた沖縄県平和祈念資料館では、沖縄戦の全体像を描き出すとともに、
戦争が人々の暮らしや文化にどのような影響を与えたのかが丁寧に展示されて
いました。
中でも印象に残ったのは、皇民化政策の一環として、沖縄特有の姓を本土風に
変更させるという事例です。これは、朝鮮や台湾などの植民地支配下で行われ
た「創氏改名」と極めて類似しており、沖縄が「国内」でありながら、“内な
る植民地”として扱われていたのではないかと感じさせられました。
また、戦争の爪痕は過去のものではありません。沖縄には現在もおよそ3,000
トンもの不発弾が地中に埋まっているといわれています。
この日、参加者のひとりが那覇市内で「不発弾処理のお知らせ」の立て札を見
つける場面があり、戦争がまだ終わっていないこと、日常のすぐ隣に戦争の危
険が潜んでいるという現実を改めて思い知らされました。
○第3日目 6月25日(水)
自由行動
対馬丸記念館、不屈館
この日は、団体での首里城見学と自由行動のどちらかを選択でき、私は自由行
動を選びました。対馬丸記念館と不屈館を訪れ、沖縄戦や戦後の歴史について
学びを深めました。
・対馬丸記念館
ここでは、学童疎開中の児童らを乗せた対馬丸が米軍に撃沈された悲劇につい
て学びました。乗員1,788名のうち約8割が命を落とし、生存者には厳重な箝口
令が敷かれていたといいます。この事例は、戦争が単なる「軍人同士の戦い」
ではなく、多くの民間人が巻き込まれ、犠牲となる現実を改めて突きつけるも
のでした。
・不屈館
この施設では、米軍占領下の沖縄で祖国復帰と平和を目指し、瀬長亀次郎をは
じめとした民衆が闘い続けた歴史を伝える資料が展示されていました。瀬長氏
の揺るがぬ信念と行動は、戦後の沖縄史を語るうえで欠かせないものであり、
その精神に深い敬意を抱きました。
2017年には彼を題材としたドキュメンタリー映画『米軍が最も恐れた男 その
名は、カメジロー』が公開されており、改めて鑑賞したいと強く感じています。
○所感(全体を通して)
三日間を通じて、沖縄戦の歴史と現在の安全保障の課題について多角的に学ぶ
ことができました。戦争が残した深い爪痕は今なお沖縄に刻まれており、私た
ち一人ひとりがその歴史を正確に理解し、決して風化させない努力を続けるこ
とが強く求められていると感じました。
今年2025年は戦後80年の節目の年ですが、依然として在日米軍施設の約70%が、
国土のわずか0.6%に過ぎない沖縄に集中しています。基地に伴う犯罪や性暴
力、墜落事故、落下物、PFAS汚染など、沖縄の安全と暮らしは今もなお深刻に
脅かされ続けています。私たち本土の側も、沖縄に過大な負担を押し付けてい
る加害者であるという自覚を持つべきだと、改めて痛感しました。
また、軍事力一辺倒の安全保障に固執するのではなく、対話と協力を基盤に据
えた新たな安全保障の形を模索し、真の平和実現に向けて何ができるのかを考
え続けることが、今後ますます重要だと認識しています。
一方で、自民党の西田議員によるひめゆりの塔を巡る問題発言に象徴されるよ
うに、歴史修正主義や過去を軽視する動きが顕著になっています。群馬県では
「群馬の森」にあった朝鮮人追悼碑が撤去され、東京都でも関東大震災の朝鮮
人犠牲者追悼式典に対して小池百合子知事が追悼文を送らないなど、歴史と向
き合う姿勢が後退していることは極めて深刻です。こうした歴史修正主義の動
きは、単なる過去の否定にとどまらず、現代社会の平和や多様性を脅かす危険
な兆候です。政府や自治体の首長がこの問題に真摯に向き合わず、追悼や記憶
の継承を怠ることは、被害者や遺族に対する深い無理解と無責任を露呈してい
ます。
さらに、私が暮らす千葉県でも、木更津基地へのオスプレイの暫定配備や幕張
メッセでの武器見本市開催など、軍拡と戦争に加担する動きが現実のものとな
っています。こうした現状に対し、声を上げ続けることが何よりも重要です。
「新しい戦前」と言われる今日、私たちには歴史の事実を語り継ぐ責任があり
ます。そしてその責任は、過去の教訓を踏まえ、現在の政治に対しても声を上
げ続けることへとつながっています。今回の平和行動で得た学びは、決して沖
縄だけの問題ではなく、私たち一人ひとりの足元に深く根ざした課題であると
確信しました。