活動紹介

2016年08月04日

【報告】2016平和行動in広島

【報告】2016平和行動in広島

{目的}
 連合は、原水禁・核禁会議と連携して、原爆
 が投下された8月6日と9日に合わせ、核兵器
 廃絶と世界の恒久平和の実現に向けた「統一
 大会」を広島市と長崎市で開催します。
 平和行動を通じて、戦争の悲惨さや平和の大
 切さを語り継ぎ、訴えていく活動を継続して
 いくことが必要であり、千葉地協としても、
 各地域へ役員・組合員を派遣することとして
 います。

{日程}2016年8月4日(木)〜6日(土)

{組織}マブチモーター労働組合

{宿泊}オリエンタルホテル広島
    http://www.oriental-hiroshima.com/

{内容}
第1日目 8月4日(火)
○事前勉強会「オリエンテーション・被爆者体験講話」
 1932年生まれ 当時12歳だった池田精子さんに
 被爆体験談を語って頂きました。
 71年経った今でもあの時の辛かった気持ちを鮮
 明に覚えていて、8月6日午前8時15分は、あの
 日の事が蘇ってくるそうです。

 原子爆弾により、一瞬にして広島が壊滅となり、
 焼け野原になった事。

 原爆投下は、幼い赤ちゃん、子供、お年寄り、
 夢・希望・未来を奪い、無差別の大量殺人となった。

 池田さんは、原爆がピカッドンと落とされた瞬
 間、15メートル程飛ばされ、顔・全身に大火傷
 を負い、手足の皮が剥がれて、真っ暗闇の中
 「お母さん・お母さん」と呼びながら逃げたそ
 うです。

 その間、黒こげ・バラバラになった死体を目にし、
 沢山、目にしているうちに頭の中もおかしくなり、
 怖い・かわいそう等の感情がなくなっていったそ
 うです。

「水をちょうだい」「助けて・助けて」と言われて
 も自分の事で一杯で、助けてあげられない辛さで
 耳をふさいで逃げるしかなかった。

 山の上に必死な思いで逃げた時、上から見た広島
 は「火の海」だったそうです。
 戦争は、生命を奪う。核戦争は人類の滅亡。地球
 の滅亡。勝者はいない。辛い気持ちをありながら、
 それでも伝えなくてはいけないという強い気持ち
 を私は、とても胸が一杯になり、次の世代に伝え
 なければいけないと強く感じました。

 第2日目 8月5日(水)
 ○広島平和記念資料館見学
  http://www.pcf.city.hiroshima.jp/
 ○原爆養護ホーム「舟入むつみ園」慰問
  http://www.hge.city.hiroshima.jp/mutsumi/index.html
 ○江田島海上自衛隊見学
  http://www.mod.go.jp/msdf/onemss/kengaku/
 ○連合2015平和広島集会
  http://www.rengo-hiroshima.jp/
 初めて平和記念公園に来て、原爆ドームを目にし
 原爆の恐ろしさを感じました。

 原爆の像の周りには、折り鶴が飾られ色んな想い
 が詰まっていて、平和を願う気持ちはとても重く
 胸を打たれました。

 像の下におかれた石碑には、「これはぼくらの叫
 びです これは私たちの祈りです 世界に平和をき
 ずくための」と刻まれていました。

 資料館では、当時の被爆者の遺品・被害写真・映
 像・再現された火傷を負った人形 等原爆の恐ろし
 さ・遺族の苦しみ・悲しみが伝わってきました。

 
 熱線:爆心地では、地表の温度が3000°〜4000°
    となり、重い火傷により顔や手足の皮が剥がれ、
    内臓・目が飛び出し、人間が蒸発・溶けていなくなる。
 爆風:電車・建物が飛び、人も飛ばされ建物の
    下敷きとなって亡くなる。
放射線:直接放射線を受けた人は、亡くなり、直接
    被爆しなかった人でも10日以上経ってから
    髪の毛が抜け、歯茎から血が出る。
「黒い雨」きのこ雲が立ち上り、その後、放射線物
 質が含めれている黒い雨が降り、放射線による障
 害があった。

 海上自衛隊見学では、立派な建物が立ち並んでい
 ました。
 資料館は、海軍の資料・遺品等が飾られていました。
 兵士の遺書は、強い信念が伝わってきて、とても
 立派な文章でした。
 しかしながら、若くしてこんな立派な遺書を書か
 せ、大切な命を無くさせてしまうなんて、悲しく
 辛い気持ちになりました。

 連合2016平和集会では、1925年生まれ当時20歳だ
 った坪井直さんに被爆体験証言の中で日頃の避難
 訓練は、爆風で目が飛び出たり、鼓膜が破れたり
 するので、目と耳を塞ぐ訓練をしていたそうです。
 
 ピカーッと光り、一秒も経たないうちに飛ばされ
 て気を失っていたそうです。
 救助活動したトラックに乗っていいのは、若い男
 性だけ、女・子供・年寄りは乗せない、戦争に役
 立つ人だけ。
 幼い子供が乗るなと銃を向けられ、逃げていく姿
 に坪井さんは出ない声を一生懸命「火のない所へ
 逃げろ・火のない所へ」声がもう出ない。
 乗せてあげろと反抗すれば、銃で撃たれるので助
 けることも出来ず、叫ぶしかなかった。
 思い出すと今でも辛いそうです。

 第3日目 8月6日(木)
 ○原爆死没者慰霊式参列
  http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1342505253394/index.html
 ○大和ミュージアム見学
  http://yamato-museum.com/
 ○てつのくじら館見学
  http://www.jmsdf-kure-museum.go.jp/
 広島原爆死没者慰霊式参列では、被爆者・遺族の
 方々が参列し、多くの人が犠牲者の冥福と世界の
 平和を祈念しました。
 
 原爆が投下された午前8時15分に「平和の鐘」が
 鳴らされ、1分間の黙とうを捧げました。

 大和ミュージアムでは、零式艦上戦闘機や特殊潜
 航艇、九三式魚雷 等の貴重な実物資料が展示さ
 れていました。

 てつのくじら館では、海上自衛隊の歴史・掃海艇
 の活躍・潜水艦の活躍 が紹介されていました。

【全体を通して】
 とても貴重な被爆者体験談を聞かせて頂いたり、
 原爆資料館での原子爆弾の恐ろしさを学び、次
 の世代に残さなければいけないと強く感じました。
 
 二度と繰り返してはいけない、今の平和を・大切
 なバトンをつなげていきたいと思います。
 
 最後に、事務局の企画運営、電機連合本部の皆様
 電機千葉の皆様、平和行動へ参加する機会を頂き
 本当にありがとうございました。

新しい力で未来を拓く!
電機連合組織内公認候補「浅野さとし」
「競争」から「協創」へ

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