活動紹介

2016年09月08日

【報告】2016平和行動in長崎

【報告】2016平和行動in長崎

{目的}
 平和行動in沖縄・広島・長崎・根室について
 電機千葉では、戦後70年以上が経過し、戦争
 体験者が減少する中で、平和の尊さや大切さ
 を次世代に伝えることは、現代に生きる私た
 ちの責務と考え、連合の平和行動(沖縄、広
 島、長崎、根室)へ役員・組合員を派遣して
 います。

<概要>
{日程}2016年8月7日(日)〜9日(火)
{派遣}ベイキューブシー労働組合 組合員
{内容}

○第1日目 8月7日(日)
1)原爆養護ホーム訪問について
 http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3010000/3010100/p002183.html
 見舞金の贈呈や、シスターからのお話、施設内
 の見学を行いました。
 シスターのお話から。めぐみの丘は、戦時中に
 純心女学園の疎開地となっていて、原爆投下さ
 れた日は、20名がいたとのことです。めぐみの
 丘は爆心地からは離れていましたが、その日、
 爆風があり、何かがおこったと気づいたそうです。

 めぐみの丘から離れた爆心地にいた女学生(学
 徒動員)が、200名以上、亡くなったとのことです。

 原爆ホームには被爆手帳を持つ人しか入れない
 そうです。恵みの丘には特別養護や一般養護も
 ありますが、そちらは被爆手帳を持たない人も
 入れるとのことです。
 
 長い間、原爆を経験した人は経験を語ることが
 できなかったけれども、ローマ法王が来たとき
 のメッセージによって口を開き始めたとのこと
 です。
 
 そして、それは本にまとめられて、今では記事
 が集まるごとに発行しているとのことです。

 施設を訪れて中に入ると、大勢の入所者の方々
 が待っていてくれました。そして歓迎の歌や歓
 迎の言葉をいただきました。そのときは、わか
 らなかったのですが、被爆者の方だとお聞きし
 ました。
 
 被爆手帳をもつこんなに多くの方に会ったのは
 初めてでした。この時期になるとテレビで原爆
 の特集を見ますが、実際に原爆の被害をうけた
 方々に会うと思いがより強くなります。

○第2日目 8月8日(月)
1) 被爆体験者講話・平和祈念公園見学
  資料館見学・連合集会参加について
  http://www.city.nagasaki.lg.jp/sumai/630000/632000/p005153.html

・被爆体験者講話
 被爆者である三瀬清一郎さんより、原爆のお
 話を聞きました。三瀬さんは1935年生まれで、
 被爆したのが10歳(小学校五年生)のときと
 のことでした。原爆投下地点から3.8キロほど
 離れたご自宅で被爆されたそうです。
 
 6人兄弟の三瀬さんは、幸いご家族は全員無事
 だったそうです。そのあとのお話ですが、ご兄
 弟のうち、3人を癌で亡くされてるとのことです。
 原爆が落とされたのが11時2分、家はめちゃく
 ちゃだったそうです。昼頃に外に出てみると、
 夏の雲がみるみる黒い雲になっていってそのうち
 黒い雨が降ってきたそうです。
  
 少し離れた通っていた小学校に行ってみると地
 獄絵図のような状況があったとか。リヤカーで
 たくさんの負傷者が体育館に運ばれ、横から並
 べられて行ったそうです。
 ただそれだけで薬もないし、看護婦もいなく何
 もできなかったそうです。

・平和公園見学
 投下中心地跡や、原爆により破壊された浦上天
 主堂の唯一残った柱などを見学しました。

・資料館見学
 原爆投下されたときの長崎の写真など見学しま
 した。

・連合2016平和ナガサキ集会参加
 語り部の田川様のお話を聞きました。
 原爆の経験は長い間お話しなかったとのことで
 すが、数年前から証言されてるとのことでした。
 NHKアーカイブスに証言されてるとのことですの
 で、あとで見させてもらうつもりです。

○第3日目 8月9日(火)
1)三菱電機慰霊祭
 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典について
 http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3020000/3020300/p002242.html

・三菱電機慰霊祭
 三菱電機でも原爆で社員の方が亡くなっている
 そうです。お坊さんがお経をあげられました。
 私たちはお焼香をさせてもらいました。
  
 当時、三菱電機で働いていたOBの方のお話を聞
 きました。その方は被害に合われなかったそう
 ですが、家に帰ると、家族全員が亡くなってい
 たそうです。
  
 今後、私たちが、平和のためにやっていくこと
 は、国連を巻き込んで、やっていかなければな
 らないとおっしゃっていました。

・平和祈念式典参加
 平和祈念式典に参加して、原爆の日の時間、11
 時2分に黙祷を捧げました。

○所感(全体を通して)
 8月9日は、原爆投下された時刻、11時2分前あた
 りから、市役所の放送が街中に流れ始めます。
 そして、その時刻になると黙祷のサイレンがな
 ります。街全体が原爆の日に染まる感じでした。

 平和活動には、被爆地である広島、長崎出身の
 方々の参加もありました。その地域では小学校
 のころから、平和教育というのがごく当たり前
 にあるとのことでした。
 
 戦争を知らない世代が多くなる中で、戦争につ
 いて知ることはますます大切だと思います。
 
 戦後、71年がたち、被爆者の平均年齢は80歳代
 です。近い将来には原爆を経験した人がこの世
 からいなくなります。経験した人からの現実の
 話は、本当に心につきささります。
 
 映像などで戦争のすさまじさ、恐ろしさは見ま
 すが、実際に戦争を経験した人の話って言うの
 が、一番ショッキングで、恐ろしいことばかり
 です。
 
 そして、ひとそれぞれが経験した恐ろしさが様
 々です。
 この方たちのお話を聞くということは、平和、
 核なき世界を目指すために大変貴重なことだと
 思います。
 
 この活動に参加して、被爆者のお話をお聞きし
 たり、原爆が落とされた場所に実際に行ったり
 できたことは本当によい経験で、平和への思い
 が一層強くなりました。
 
 一人でできることは限られていますが、平和を
 続けなければ、これだけ多くの戦争で犠牲にな
 った方々に本当に申し訳ないと思います。
 
 今、71年間、日本は戦争をしていませんが、今
 後もそういう社会でいるために、努力していき
 たいです。
 
【茨城県で働く電機産業の代表 浅野さとし】
 ○フェイスブック
  https://www.facebook.com/satoshi.asano.564
 ○公式ホームページ
  https://www.asanosatoshi.com/#page1
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