活動紹介

2017年08月29日

【報告書2】2017平和行動in広島

電機連合千葉地方協議会より、1名

【報告書2】2017平和行動in広島

{日程}2017年8月4日(金)~6日(日)
{組織}電機連合千葉地方協議会より、1名
{内容}
 第1日目 8月4日(金)
 ・被爆者体験講話、夕食懇親会
 第2日目 8月5日(土)
 ・平和記念資料館
  http://hpmmuseum.jp/
  原爆養護ホーム「舟入むつみ園」
  http://www.hge.city.hiroshima.jp/mutsumi/
  江田島海上自衛隊
  http://etajima-kankou.jp/sp.jmsdf.shtml
 ・連合集会
 第3日目 8月6日(日)
 ・原爆犠牲者慰霊式典
  http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1347936740512/
  大和ミュージアム・てつのくじら館
  https://www.jmsdf-kure-museum.go.jp/

{報告}
○第1日目 8月4日(金)
・事前勉強会・懇親会
 事前勉強会では当時中学生だった「シタバタケ
 ジュンゾウ」氏に被爆体験について語っていた
 だきました。
 戦争を体験したことのない私たちでも理解しや
 すいように一つ一つ丁寧に説明を加えて詳細に
 当時の状況について伝えてくださいました。
 被爆体験をされた方から直接お話しを聞く事で
 教科書だけでは感じることのできないリアルな
 状況を学ぶ事が出来ました。
 講話の最後に資料や資料館では感じることが出
 来ないものとして「臭い・音・光」についてお
 話されていた内容が私にはとても印象に残って
 います。
 被爆から72年の時が経ち被爆者が年々減少し
 ていく中で直接お話を聞けるという機会が限ら
 れている事を実感し、語り部の想いを受けとっ
 た側も同様に後世に伝えていかなければならな
 いと強く感じました。
 
○第2日目 8月5日(土)
・平和記念資料館・原爆養護ホーム「舟入むつみ園」
・江田島海上自衛隊・連合集会
 ホテルからバスで移動し10分程で平和祈念公
 園へ到着しました。到着後すぐに平和の時計塔
 の前に集合し原爆が投下された時刻、午前8時
 15分に鳴るチャイムを聞き、そして原爆ドー
 ムを少し離れた場所から目にしました。
 その後、公園内で「平和の鐘」、「原爆供養塔」
 千羽鶴に囲まれた「原爆の子の像」、昭和39
 年に建立してからずっと消えずに燃え続けてい
 る「平和の灯」、安らかに眠って下さい過ちは
 繰返しませぬからと刻まれた「原爆死没者慰霊
 碑」を見学し平和祈念館と平和記念資料館へ行
 きました。
 平和記念資料館では原爆により一瞬にして破壊
 され、尊い生命が無差別に奪われた事を表す数
 々の写真・資料・映像・遺品等を見学しました。
 とても直視できないようなものが多々あり、現
 実に起きた出来事として受け止めるのが辛くな
 りました。

 原爆養護ホーム「舟入むつみ園」では園長から
 施設についてご説明をいただき、その後、多目
 的ホールに集まっていただいた入園者の皆さん
 へ見舞金の贈呈が行われました。
 入園者の皆さんはとてもお元気で生きる強さを
 感じました。園長から施設についてご説明いた
 だいた中に居室のほとんどを4人部屋にしてい
 るとのお話がありました。
 孤独を感じさせない工夫が入園者の皆さんの元
 気の源なのだと実感しました。

 江田島海上自衛隊見学では海軍の歴史について
 触れることが出来ました。貴重な施設を見学し
 ていた中で特に印象に残ったのが鉄骨煉瓦石造
 の大講堂です。
 瀬戸内海産の花崗岩を使用していて、室内は吹
 き抜けとなっており音響設備がない当時でも声
 が響くような創りになっていました。
 約2千人の収容ができる大きな施設の中で音響
 設備なしに声を届けるという当時の方たちの知
 恵や工夫にとても感動しました。
 教育参考館では「勝海舟の書」「広瀬武夫中佐
 の資料」「佐久間勉大尉の遺書」「海軍将校の
 書」「特攻隊員の遺書」「横山大観画伯の富士
 を描いた作品」等が数多く展示されていました。
 しかしこの貴重な資料はほんの一部で戦前は約
 4万点保存されていたのですが終戦後に進駐軍
 による没収を恐れ半分以上焼却処分されており
 現在では約1万6千.点しか残っていないそう
 です。特攻隊の想いが詰まった遺書などをなく
 なく処分しなければならなかった状況を思うと
 心が痛みました。

 連合集会には私たち電機連合を含め全体で23
 15名が参加されていました。
 集会では父親を被爆で亡くした「廣中 正樹」氏
 に講話いただきました。
 原爆ドーム近くの通勤電車の中で被爆した父親
 の背中は焼け爛れガラスの破片が無数に刺さっ
 ていたそうです。
 当時5歳だった正樹氏は父親の背中に刺さった
 無数のガラスを一生懸命引き抜いてあげたそう
 ですが、幼い正樹氏にはうまく引き抜く事(助
 けてあげる事)が出来なかったのだと声を詰ま
 らせながらお話されていました。翌日、息を引
 き取る瞬間は悲しみのあまり立ち会うことが出
 来なかったそうです。
 5歳という幼い子供にさえ容赦なく一生消える
 ことのない悲しみを突きつけた核兵器に対し怒
 りを感じました。
 「廣中 正樹」氏の講話の後、平和大使として
 活動する女子高校生6名から活動内容について
 報告を受けました。6名全員が高校生とは思え
 ない程立派で、平和活動に対する熱い思いが強
 く伝わってきました。

○第3日目 8月6日(日)
・原爆犠牲者慰霊式典
・大和ミュージアム・てつのくじら館
 早朝、ホテルを出発し平和記念公園へ向かいま
 した。原爆犠牲者慰霊式典には平和への関心の
 高さがうかがえるほどの沢山の参列者が集まっ
 ていました。現地滞在時間が限られていること
 に加え参列者が多いこともあり同施設内にある
 広島国際会議場にてモニターで式典の様子を確
 認しました。原爆が投下された時刻、午前8時
 15分に平和の鐘の音が鳴りその場にいた参列
 者と共に1分間の黙とうをして平和への祈りを
 捧げました。
 
 大和ミュージアム・てつのくじら館では船をつ
 くる技術や呉の歴史、零戦、戦艦大和などの展
 示物を見学しました。当時の人々の生きざまを
 現代に生きる私たちに伝えてくれる貴重なもの
 ばかりでどれを見ても迫力があり見応えがあり
 ました。

○所感(全体を通して)
 平和行動に参加し日常で忘れかけていた平和に
 ついて学ぶことが出来、とても貴重な体験をさ
 せていただいたと感じました。
 この貴重な体験を無駄にしないよう、平和に対
 する関心を今後更に強めていき、より多くの方
 に平和行動に参加して学んだ事を伝えていきます。
 このような機会をつくっていただき有難うござ
 いました。

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